佐賀新聞のひろばに掲載していただきました(令和2年12月12日)
またこの季節が来ました。
10年前のその年、妻はがんと闘いながら闘病生活3年目の冬を迎えていました。
大腸がんで見つかった時には既に肝臓にまで転移していました。
すぐに手術が行われました。9時間近くに及ぶ大手術で、家族控室にいた他の家族の方は、一人また一人と帰って行く中、一人残された病院の窓から薄暗くなる冬の空を見ながら、手術が上手く行くようにと祈るばかりでした。
術後に肝臓に転移したがんの一部が取り除けなかったことを聞いた時には、
頭の中が真っ白になり何も考えることが出来ませんでした。
それでもがん細胞を叩くために抗がん剤など出来る限りの治療を試みました。セカンドオピニオンにも行きましたが、これといった手立ては見つかりませんでした。
術後から2年が過ぎた頃に、普通の生活がしたいと抗がん剤治療を止める決心をしました。
それはいつか来る死を受け入れることでした。悩みぬいたうえでの決意でした。
それでも、妻は抗がん剤の副作用から解放されて、東京や京都に旅行に行くこともできました。
私の父の葬儀から法要までしっかりと私を支えて努めてくれました。
秋風が吹くころ、次第に体調を崩すようになり、腫瘍マーカーも徐々に上がり好生館の緩和ケアに入院しました。
正月に一時帰宅したのが最後の家族団欒になり、40日間の入院生活の末、残された命を生ききって妻は逝きました。
10年前の冬は妻と過ごした最後の冬になりました。