今日(12月12日)の毎日新聞朝刊の佐賀県版のピープルに
私とりんどうの会が記事として紹介されています
写真の文字では読みづらいので、本文をここに掲載します
ちょっと、長文ですが読んでください
がん遺族会「りんどうの会」代表 福島龍一さん(69)=佐賀市 「喪失感と向き合って」
身近な人を失った悲しみから立ち直るには一定の過ぎゆく時間とともに喪失感と向き合うことが重要だという。
佐賀市議だった2011年、妻京子さん(享年59)を大腸がんで亡くした。
1年ほどは酒に溺れたが、12年6月に「妻の生きた証を残したい」と妻の闘病生活や自身の心情をつづった手記「妻に捧(ささ)げる100文字で綴(つづ)るレクイエム」を自費出版。
同9月には知人の勧めもあり、県内唯一のがん遺族会「りんどうの会」を発足させ、代表を務めている。
今は佐賀市で月2回、県内外の会員17人がその時々の感情を吐露し、受け止め合って悲嘆を回復する「グリーフケア」をしている。
07年10月に元気だった京子さんが体の不調を訴え、検査で大腸がんと告知された。
精密検査で肝臓に転移していることが分かり、強気の京子さんもショックを隠せなかったという。
同12月の約9時間に及ぶ大手術で大腸がんは摘出したが、肝臓に転移したがんの一部は取り除けず、抗がん剤などの治療が始まった。
しかし10年2月、「普通の生活がしたい」と抗がん剤治療を止めた。
食事や旅行も一緒に楽しめたが、次第に京子さんの体力は落ちていき、11年1月に帰らぬ人になった。
約3年2カ月に及ぶ闘病生活を懸命に支えて10年がたち、「悲しみは消えることはないが、悲しみの居場所ができて心が少し軽くなっている」と話した。
近年はグリーフケアの認知度も高まってきた。
「ケアが必要な遺族はもっといるはず」と地道に活動するが、遺族会の活動を患者の家族や遺族に連絡する時期などに悩むことも多い。
自身の経験から、患者の家族は「患者の死を目の前に感じ、その瞬間や前後にも自分が残される悲しみや苦しみなどに揺れ動く」ことを知っている。
その時期のケアも必要だが「まだ亡くなっていない」と思う家族にも配慮しなければならないことに難しさを感じている。
また入会をためらう人に参加してもらうことも課題の一つだ。
今年10月には、がんの早期発見や患者支援に携わる団体などをたたえる県の「佐賀さいこう表彰式」(がん対策部門)の企業・団体部門で表彰を受け、活動がしやすくなるだろうという。
会員との活動については「私自身が一番救われたかもしれない」としみじみと語り、年数回は福島さんの自宅でする会員とのホームパーティーも恒例になった。
会の名前にしたリンドウの花言葉は「あなたの悲しみに寄り添う」。
発足10年を迎える来年は記念行事や佐賀市以外でもグリーフケアをすることを目指している。