今日の佐賀新聞の「ひろば」に掲載していただきました
投稿した原稿をそのままに載せています
写真は、佐賀新聞の電子版からコピーしたものです
命(この限りあるもの)
命と言われて、あなたは「生」を思いますか、「死」を思いますか。
私は妻と一緒に悩み苦しみながら「命」を考えました。
それは妻が逝く1年前の事、抗がん剤の辛い治療を続けていたある日、「治療を止めたい」と言ってきたことに始まります。
抗がん剤で腫瘍マーカーは落ち着いているものの、身体はいたるところに副作用が出ていました。
「普通の暮らしがしたい、美味しいものを美味しいと感じたい」それが妻が治療を終わらせたいという願いでした。それはいつか来る別れがより早期なものになるという苦渋の選択です。
命には限りがあること。長寿を全うしてもいつか別れの日が来るということ。
これは逃れようのない現実なのですが、つい忘れがちなことです。今生きていて、今命の輝きを享受している時には、命は永遠に続いていくもののように感じられます。
「人はいつか死ぬ」という事実さえも引出しの中に仕舞われているのかもしれません。
私たち夫婦は、治療を止めることを選択しました。それは生きることをあきらめたのではありません。
「死」を受容れながら生きていくことを選択したのです。
不思議に思われるかもしれませんが、「死」を意識する(受容れる)と、やがて来るその時まで生きていくことがとても大切なことになりました。
旅行に行くことも出来ました。
美味しい食事時間も一緒に過ごしました。
やがて緩和ケアに入院し人生の最後を生き切って妻は逝きました。
間もなく13回忌を迎えます。