2023年8月10日から10日間、アメリカはワシントン州に住む妹の所へ行ってきました。
妹は1995年3月にアメリカ人のマイクと結婚し28年が経ちます。当時はオレゴン州ポートランドに家があり、結婚式は父・母・夫・私と5歳と3歳の娘の初めての渡米でした。そして4年前の2019年正月休暇に次女と2人でワシントン州はシアトルから3時間ほどの現在の家を訪ねました。(その時のことは、2019年3月にこの欄に記載しています)
4年の間に様々なことがありました。新型コロナウイルス感染症の拡大。母が亡くなったこと。次女の結婚と出産。そして私自身のがんの告知。
次女は、2020年2月に入籍はしたものの式は叶わず、いつかは挙げたいと夢を温めていました。今年に入り、コロナウイルスの位置づけが5類となり世界各国への往来が期待され始めました。そこで妹とマイクの提案で、妹の家の敷地内でのガーデンウェディングはどうか?気候が安定し皆が休暇になる8月はどうか等、具体的な話が進み始めました。そして日程とフライトが組まれ現実味を帯びてきたのは春頃でした。
日本からは、私と長女・次女一家、婿の両親、友人合わせて10名。アメリカの親せきを入れると30名位の式になり、準備のために次女は1歳の娘を連れて7月初めに渡米しました。
そして8月12日の好天に恵まれた北米特有のさわやかな気候の中で式は行われました。
針葉樹に囲まれた森のような広々とした庭。手入れされた新緑の芝生には協会よりお借りした椅子を置きました。色とりどりの花が咲き、心地よい風と鳥の鳴き声も聞こえます。
セレモニーは、神父役にマイク、司会は妹が日本語を交えての進行役です。ゲストも着席し、先ずは婿が入場、続いて婿の両親がゲスト席の中央を進みます。その後をフラワーガールに扮した長女の6歳になる娘が花飾りを頭に付け、籠に入ったバラの花びらを撒きながら入ってきます。そして次女はその娘を抱きブーケと共に婿のもとへ。私も夫の写真を持ち2人で一緒の気持ちで歩きました。
ゲスト席を見渡せば、28年前に初めてお会いした親戚の方々の笑顔。見守って下さっている1人1人のお顔が懐かしく、長い歳月を感じます。そしてそばにはパートナーや子どもたちに孫たちも。セレモニーはアットホームな中祝福の印であるユーカリの葉を皆で蒔いて無事に終了しました。
マイクは男ばかり5人兄弟。3番目にクリスという兄がいます。28年前には教会では奥様のスーザンさんと子ども達2人と参列されていました。2人は娘たちと同じ年齢で話が合いすぐに打ち解けていました。その後ご自宅に招いてくださったり、私たちが帰国する前日にも会いに来られ、再開の約束をしたものでした。
その後スーザンさんは乳がんに罹患されたと聞いていて案じていました。そして闘病の後亡くなられました。その訃報を聞きましたが、その頃はちょうど私も夫を亡くし年数も経っておらず、とてもつらい気持ちでいっぱいでした。
子ども達はどうしているのだろう。寂しくはないだろうか。成長を見ることが叶わずに亡くなられたスーザンさんと夫のことが重なり、悲しくてたまりませんでした。今回、クリスさんと子ども2人はそれぞれパートナーや幼い子ども達を連れての参列でした。私の娘たちも楽しそうに写真を撮りあい、再開を喜び合っていました。28年ぶりに会えたその光景はとても感動的でした。クリスさんのそばには、私と同じくらいの年齢の女性が居られました。あの方がイリーさんだろうか・・? 妹からクリスさんその後再婚されたと聞いていました。そしてとても良い方で幸せに過ごされていると。
式が終わり、家の方でパーティーが始まるのでゲストは移動を始めていました。私は婿のお母さんと座って話をしていましたら、イリーさんが来られ何かお話をされたい様子でした。妹の友人に通訳を頼み聞くことにしました。
イリーさんは私の膝の上にある夫の写真を見ながら「私は夫をがんで亡くしました、46歳でした。」と話されました。私も夫のこと、お互いにあまり変わらない年齢で亡くなったことを話しました。それから、色々な話が思いがけずに出来たことで、闘病を支えた者同士、言葉の壁を越えた気持ちが通じ合ったように思え嬉しかったです。一緒に写真を撮ったり、感謝の気持ちを伝えあいました。
滞在中は28年前にも訪れたオレゴン州のMt.フッドという観光地へマイクが連れて行ってくれました。総勢13名で湖や歴史あるティンバーラインロッジを訪ねました。降り立った時懐かしい風景がよみがえってきます。カメラを抱えた夫が、ここに座ったり、食事もして・・白銀のMt.フッドを背に撮ったツーショットは今は色あせていますが、忘れられない風景です。
幼い娘は困らせてばかりで余裕がなかったなぁ。マイクとの結婚に最初は反対していた父も覚えたての英語を一生懸命に使い笑顔で良かったなぁ。異国の地へ嫁いだ娘との別れの日、母はどんな思いで帰国したのだろう・・・
周りを見れば、皆それぞれにスマートフォンで撮影をしている。たくさんの写真、音声付の動画が送られてくる。楽しそうに笑いあっている。歳月の長さをひしひしと感じました。
28年前、夫が2人の娘の小さな手を引いて歩いていた同じ場所を、今はそれぞれが家族と歩いている娘たち。この光景を私は一生忘れないでしょう。そして、この想い出は今後の私の人生を支えてくれると心から思いました。
(岩永淳子)