がんに負けない社会を作ろうというのが
対がん協会が掲げるスローガンであり
そこは、サバイバーと呼ばれるがん経験者を励まし
ケアギバーと呼ばれる家族や友人など、サバイバーを支援する方々を勇気付け
医療機関など、治療と啓発に関わる方々が集う場所
やはり、そういった感覚を消し去ることはできませんでした
遺族の居場所を作りたいという気持ちで参加して
貴族のブースも作り、リボンも準備しましたが
完璧な空振りに終わってしまいました
他の地域でのRFLに参加された方からも、そういった声が聞かれ
「サポートしてください」とも言われていましたが
私自身ではどうすることもできなかった・・というのが感想です
それでも、このイベントに実行委員として参加されている方々の気持ちや、思いを考えると
途中で投げ出すことはできないと、気持ちを切り替えて最後までやり通すことは出来ました
いつか、どこかで遺族としての経験が、誰かの役にたつのではないか、
抗がん剤治療を止めた時、死を覚悟し「人はいつしか誰でも死を迎える」という当たり前のことに気づき、
残された時間を生き切るためには、何をすればいいのかということを真剣に考えたあの辛い経験がきっと役にたつ
そういう思いでいました
そして、そして緩和ケアで辛い気持ちが救われたこと、
そこはただ単に安らかな死を迎えるだけの場所ではなく、生きていることを考え感じとっていく場所であることも
本当は伝えていきたかったのですが・・・
しかし、現にがんと闘っている人に「死」について話をすることは出来ません
必死に、真剣に「生きること」を願って戦っている方々に「死」を語ることはできません
このRFLに、緩和ケアのブースがないことも、その現われではないかと感じました(個人の感想です)
エンプティー・テーブルも一つ一つのものに意味があって、その全てがサバイバーを讃えています
その意味を書いた詩を読んでみるとよくわかります
テーブルはがんで亡くなった方々が帰ってくる場所であって
遺族が座る場所ではないことがよくわかります
そこが、何故HOPE(希望)なのか
それでも、ルミナリエには遺族の言葉が書き記されています
確かにそこには遺族の思いが込められています
その一つ一つを読んでいる時だけ、心の安らぎを覚えました
がんに関わった、関わっている全ての人に・・がスローガンでしたが、ちょっと限界を感じて、次回はない・・と思っていました
しかし何故か、来年も事務局として関わることになりました
遺族という視点ではなく、そういった熱い思いを持っている方々のサポーターとして関わっていきます
参加していただいた2000名の方々の多くが
「来年も参加します」と言っていただきました
そういった方々へ思いを伝えるためにも、来年もあの場所に帰っていきます
もう一度、この目でRFLを見つめてみます
そして、遺族としての関わりを違う視点から考えてみます