りんどうの会~がん患者遺族の会・佐賀~

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新聞記事から

2015/10/20

 

今朝の朝日新聞で紹介していただきました。

 

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生き方の選択肢

2015/10/19
生き方の選択
 
今日はなんでこんなにがんに関わる話が続いたのだろう
同級生にがんの再発が見られて、緊急に入院したらしい・・という話が舞い込んできた。
厳しい状態を脱し、ここ数年は元気に食事会にも来ていたし
今年の旅行にも、泊まりだけで帰ったが参加してくれた
 
気のいい奴で、時々ドタキャンするのが悪い癖であったが
憎めないいい奴
近々にお見舞いに行こうと、数名の仲間と話しているが
話では、厳しいらしい
 
そして、Facebookで治療すべきかどうかの意見を求められた
自分のことなら治療という選択肢ない
緩和ケアを選択して、心豊かに死を迎える
それは諦めて死を迎えることではなく、生き方の選択
 
最後までどう生きるのかという、生き方の選択
決して治療することを否定しているわけではありません
治すことができるならそれは素晴らしいことです
治療を受けることも、もうちろん選択肢の一つです
 
あなたはどう選択されますか

リレー・フォー・ライフ(RFL)を終えて

2015/10/07

がんに負けない社会を作ろうというのが

対がん協会が掲げるスローガンであり
そこは、サバイバーと呼ばれるがん経験者を励まし
ケアギバーと呼ばれる家族や友人など、サバイバーを支援する方々を勇気付け
医療機関など、治療と啓発に関わる方々が集う場所

やはり、そういった感覚を消し去ることはできませんでした
遺族の居場所を作りたいという気持ちで参加して
貴族のブースも作り、リボンも準備しましたが
完璧な空振りに終わってしまいました

他の地域でのRFLに参加された方からも、そういった声が聞かれ
「サポートしてください」とも言われていましたが
私自身ではどうすることもできなかった・・というのが感想です

それでも、このイベントに実行委員として参加されている方々の気持ちや、思いを考えると
途中で投げ出すことはできないと、気持ちを切り替えて最後までやり通すことは出来ました

いつか、どこかで遺族としての経験が、誰かの役にたつのではないか、
抗がん剤治療を止めた時、死を覚悟し「人はいつしか誰でも死を迎える」という当たり前のことに気づき、
残された時間を生き切るためには、何をすればいいのかということを真剣に考えたあの辛い経験がきっと役にたつ
そういう思いでいました

そして、そして緩和ケアで辛い気持ちが救われたこと、
そこはただ単に安らかな死を迎えるだけの場所ではなく、生きていることを考え感じとっていく場所であることも
本当は伝えていきたかったのですが・・・

しかし、現にがんと闘っている人に「死」について話をすることは出来ません
必死に、真剣に「生きること」を願って戦っている方々に「死」を語ることはできません

このRFLに、緩和ケアのブースがないことも、その現われではないかと感じました(個人の感想です)

エンプティー・テーブルも一つ一つのものに意味があって、その全てがサバイバーを讃えています
その意味を書いた詩を読んでみるとよくわかります
テーブルはがんで亡くなった方々が帰ってくる場所であって
遺族が座る場所ではないことがよくわかります

そこが、何故HOPE(希望)なのか

それでも、ルミナリエには遺族の言葉が書き記されています
確かにそこには遺族の思いが込められています
その一つ一つを読んでいる時だけ、心の安らぎを覚えました

がんに関わった、関わっている全ての人に・・がスローガンでしたが、ちょっと限界を感じて、次回はない・・と思っていました
しかし何故か、来年も事務局として関わることになりました
遺族という視点ではなく、そういった熱い思いを持っている方々のサポーターとして関わっていきます

参加していただいた2000名の方々の多くが
「来年も参加します」と言っていただきました
そういった方々へ思いを伝えるためにも、来年もあの場所に帰っていきます
もう一度、この目でRFLを見つめてみます

そして、遺族としての関わりを違う視点から考えてみます

「私はどこに行けばいいのだろう」

2015/08/23

「私はどこに行けばいいのだろう」

 

りんどうの会を立ち上げてすぐのことです。

グリーフケアの研修からの帰り道

携帯電話に着信がありました、小樽の方からの電話でした

 

自分も最近遺族になった者である

何かしなければならないとは思っているのだが

気持ちだけが先走って、正直何も手につかない

サボっているわけではないが、体が動かない

 

そんな時に、りんどうの会の記事をインターネットで目にした

そういった会は小樽にもあるのだろうか

どこに行けば遺族が寄り添える場所があるのだろうか

そこに行けば私は元気になれるのだろうか

 

まだまだ経験の浅かった私は、その時本当にケアができたのでしょうか

お電話で30分ほどお話をしました

ほとんどは先方さんが一方的に話されます

 

家の中にいても、一歩外に出ても

そこには亡くなった方との思い出が満ち溢れていて

街角を曲がるたびに幻影をみて、ドキッとしてしまう

生きているはずがないんだと現実に引き戻され悲しみが襲ってくる

 

私は行くところがないんですよ

私はどこに行けばいいんでしょうね

 

パートナーを亡くされて、家には自分一人

考えることは亡くなった人のことばかり

まだ至る所にその人のものがある現実は

死というものを、頭では理解しても心が拒否しているのです

 

私も、近くのスーパーに買い物に行って

妻によく似た人の後ろ姿に、何度もドキッとしました

家に帰った時、ただいまと声をかけた後の静けさに心が砕けます

どこに行っても突きつけられる現実に打ちのめされます

 

どこに行けば、この悲しみから逃れられるのでしょうか

 

その方の心の叫びは、まさに自分自身が経験したもので

冷たい言い方ですが、あきらめることを受け入れるまで続きます

もうその人はいないんだ・・と心も納得するまでは続きます

 

また、この感覚は家族だけではなく

友人の方々にもその様な感覚があったことを後から聞きました

いつも妻と出会っていた場所に行くと、そこに妻がいる様な気がして

よく似た人を見ると、つい声をかけそうになったそうです

頑張れないよこれ以上!!

2015/08/17

8月9日に書いたことの続きになります。

りんどうの会も来月で3年を終えようとしています
いろんな方とお話をさせて頂きました
一回だけしかお話していない人もいます
電話だけで、とうとうお会いしなかった人もいます

この体験を分析してみようとかいうつもりはありませんが
この3年で感じたことをや、その時々の言葉を思い出しながら
この経験をまとめてみようと思います

一気にまとめていくということは難しいことだと思います
少しづつ、最初は取り止めのないことから
思い出し出し書いてみようと思っています

今日は、お電話でしかお話しませんでしたが
熊本の方で私とあまり年齢も変わらない感じで
夫を亡くされて、まだ日の浅い方の言葉でした

夫の家族や、自分の兄弟も、気を使ってくれている
そのことには感謝もしているしありがたいと思わねばならない
しかし、その人たちが発する言葉が「眩しすぎて」
自分は本当は会いたくない

おわかりになりますか・・・
「言葉が眩しすぎる」というこの意味を

兄弟や親族の方々は、その方を励まさねばならないと思っているのでしょう
その方々なりに言葉を選んでいるのかもしれませんが
多くの場合、次のような言葉をかけられます

「あなたが泣いていたら亡くなった方が悲しむよ」
そして必ずと言っていいほど
「悲しかろうが、頑張らんばよ」と続いていきます

何を頑張るのだろう!
これ以上はもう頑張りきらん!
もし、頑張ったら悲しみが消えるのだろうか!
励まそうとしてかけた言葉が、一番傷つけてくる

声をかける方は元気に明るい雰囲気を作ろうとしています
強く生きていってほしいという願望の表れでしょうね
でも、それが一番辛くのしかかってくるということを
どうかご理解いただきたいと思います

自分が自分に言う分には構わないのです
でも、その言葉を聞かされることに耐えきれない時があります
私も多くの方から「頑張れ」と言われて
自宅に帰ってから泣いたことは幾度となくありました

励まさないでください
(続く)

 
 

ガンに負けない

2015/08/09

何回か書いた事がありますが、「人はいつか死ぬ」
この言葉は、聴く人によっては嫌な響きを持つ事でしょうが
私と私の妻はこの言葉に救われました

 

「人間の死亡率は100%」
たとえ健康で事故もなくその寿命を全うしたとしても
いつか人は死を迎える
その事実から目を背ける事はできません

 

たとえ健康で事故もなくその寿命を全うしたとしても
夫婦二人が最後のときまで一緒とは限りません
妻か夫か、どちらかが先に逝き、どちらかが残るのです
それが事故や病気の場合、納得できない事が多いと思います

 

しかし、それが現実であり
早い遅いという気持ちはあるにせよ
人は絶対に死に至るという事実を忘れてはいけないと思います

 

いまの医学は、人は生き続けると言った発想にあると思います
死なないと錯覚するから、死なない医学が進んできています
延命治療、植物状態でも生かしていく
本当に、それで良かったのでしょうか

 

ある医学者は、現代社会の歪みは医学にあるといいます
人もまた動物であるのに、自然淘汰を拒否している
以前なら生命を維持できなかった赤ちゃんも生き残る
自然社会の摂理を破壊しているのは人である

 

私の妻は、手術から抗がん剤と治療を続けましたが
発見から3年2ヶ月で最後のときを迎えました
最後の1年は治療を放棄し、最後は緩和ケアでした
しかし、ガンが見つかってから、もっとも安定していたのは
その最後の1年間でした

 

ガンに罹患する年齢によっては「死にたくない」という
本当に当たり前の感情を持つことはよくわかります
特に小さな子どもさんがいる家庭ではなおさらだと思います
そういった方々にはガン治療の発達は重要課題だと思います

 

ただ、不思議なのは
これが他の病気であればこういった感覚が少ないのですね
ガンという病気の特殊性でしょうか
不治の病いという思いが強いからでしょうか

 

患者さんや経験者の方々と、遺族という立場の私には
正直って大きな壁が存在します
「ガンに負けない」という事への意味が違うからです
妻はガンで命を失いましたが、ガンに負けたわけではありません

 

それは、ガンとどう向き合うかという心の問題です
人はいつか死ぬ、この真理をどう理解してどう立向うかです
死が怖くない人はいないと思いますが
その恐怖を超えるきっかけが、人はいつか死ぬかなと思います

 

遺族という立場で、ガンを考えた場合
死を迎えるその時まで、ずっと一緒にガンと闘いながら
結局は何もしてあげられなかったという悔恨だけが残ります
遺族の心の中には、悲しみと同時に自責の念があります

 

私はガンで妻を亡くし
その事がきっかけで、遺族の会やガン征圧運動に関わっています
とても不思議な気持ちでこの現状を見ています
妻が生きていれば、全く関わる事のなかった世界にいます

 

そしていま、リレー・フォー・ライフに関わりながら
自分の心の中の矛盾と立ち向かっています

新しい旅路への分岐点

2015/07/28

4年と6ヶ月

 

その日から4年6ヶ月という時間が流れました
日本グリーフケア協会の悲嘆回復の最長期間の目安が
概ねこの時期にあたります

 

最初の1年間は
苦しくて苦しくてどうしようもなく
悲しくて悲しくて泣き明かしていた
追い求めるのは亡くなった妻の幻影

 

3回忌(2年目)を迎えた頃に、どこか心の変化を感じた
悲しみの形が変わったような気がした
妻がいない生活に身体も心も慣れてきたのでしょうか
それでも時折止まらない涙

 

いま、こうして書いていてもじんわりと涙は滲んできます
でも、ただ単に悲しいというだけではなく
何か暖かさを感じている胸の中があります

 

それは、きっと悲しみからの卒業なのでしょう
僕と妻との新しい形の旅が始まるのでしょう
妻の声が聞こえます
「あなたの道を歩いてください」と

 

今日は28日、妻の月命日
新しい旅路への分岐点に立っています

私の一冊「自分を生ききる」

2015/07/14

妻が抗がん剤治療をやめる時に読んだ本です。
「死」とは・・「死ぬこと」とは
深く考えさせられ、そして「死」を怖がらない心を持つことができました。
「人はいつか死ぬ」それは、ガンであろうとなかろうと
その考えに至ることが、抗がん剤治療を止めることの背中を押してくれました。

 

本の解説です

 

がんになった方のおよそ半数が数年で命を落としています。まさに国民病です。しかし、 現代の日本は「自分は死なない」ということが前提の社会です。「死」は日常にも、人々の意識のなかにもありません。このことが、延命中心のがん医療につながっています。 

本書では、日本人のからだと精神のあり方に迫ってきた、養老孟司東大医学部名誉教授と、養老氏の東大医学部の教え子で、東大病院でがん治療と緩和ケアを実践している中川恵一医師が、日本人とその社会のあり方、日本のがん治療の問題点を多面的に語ります。すべての日本人にとって、もっとも大事な、「人生、社会、医療」という大きなテーマを、深く鋭く、しかし、わかりやすく、ときにユーモアをまじえ、分析しています。

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人と人との出逢いは、偶然それとも必然

2015/07/07

偶然と必然
貴方はどちらを信じますか?

 

人と人との出逢いは、偶然でしょうか?必然でしょうか?

 

小学校・中学校の同級生は、同じ年に産まれて、同じ地域に住んでいただけですか?

 

受験と言う門をくぐり抜ける高等学校。全国レベルで交差する大学校。まして浪人を経験することで、年齢による並びも変化します。

 

社会人。公務員、自営業、民間企業。営業、事務。本社、支店、営業所。正規雇用、臨時雇用、管理職。年齢も出身地も学歴もスクランブル。

 

結婚。配偶者家族親族友人。地域社会、PTA。

 

これら全てが、偶然の産物だと言えるのでしょうか?

 

転生輪廻を称える人の中には、人が持つ霊は、前世でも現世でも、そして来世でも呼び合って近くにいる。と言う人もいました。

 

妻を亡くしてからの出逢いは、殊更に、その事を考えてしまいます。

 

総てが必然とは言えないかもしれませんが、必然的な出逢いは必ずあると信じたい私です。

月命日に

2015/06/28

今日は、妻の月命日
あの日から、4年5ヶ月という時間が流れました

普段は全く見ることのない葬儀・初盆に関する記録
たくさんの数字が書き込まれた無機質な書類のなかには
発病からの血液検査の結果表も含まれていました

死亡診断書、弔問してただいた方々の名簿・・・・
その中に、数枚のお手紙を見ることができました

遠方で弔問に来れなかったことに加えて
私に対する心遣いの言葉に熱いものがこみ上げてきます
そして、最後の出棺前の写真もありました

これらの記録もどこかで整理しておかねばなりませんが
なんで、いつも近くにあって見ることのなかった箱を開けたのだろうか

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