りんどうの会~がん患者遺族の会・佐賀~

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レクイエム

妻に捧げるレクイエム=7=

2013/12/30

手術の日 再び手術開始

肝臓に転移したガンは全部で9個。

取り除けるかどうかは開腹して判断するとのこと。

そんな説明の後、再び手術が始まった。

電話が直に鳴らないことを願いながら(*注)

必死に祈っていた。

その祈りが届いたのか、鳴らなかった。

*注・手術が不可能な場合は、手をつけずに直に終わるという話しだった。

 

手術の日 待ちくたびれて

午後3時を過ぎ、肝臓に転移したガンの摘出が

進んでいることを確信した。

しかし、5時になっても終わらない。

他の家族が帰って行く中、一人残っていた。

午後6時過ぎに君は手術室から出て来た。

9時間近い闘いを終えて。

妻に捧げるレクイエム=6=

2013/12/27

手術の日 PHS

長い一日が始まった。

僕の首には渡されたPHS電話。

緊急の時や術後の呼出しに使うので

病院内にいて下さいと念を押された。

家族控室は息苦しかったので、

病院の中を行ったり来たり歩いていた。

 

手術の日 ガン細胞

昼頃に最初の呼出しがあって、カンファレンスルームに行った。

大腸がんの摘出が終わって、そいつはそこにいた。

五百円玉ほどの大きさで毒々しい色だった。

君の身体を蝕んだ病巣を睨みながら医師の説明を聞いていた。

 

妻に捧げるレクイエム=5=

2013/12/24

手術の日 始まり

12月6日の朝8時に、君の病室に行ったけど

最初の仕事は、持ち込んだ私物の整理だった。

手術後に部屋が代わるので

全て持ち出すようにとのことだった。

その時君は、既に手術着に着替えて、点滴を受けていたね。

 

手術の日 手術室

時間になると君と一緒に手術室に向かったね。

手術の前に麻酔などの前処置があると言うことだったけど

僕が一緒に行けるのは、手術室の前まで。

他に言葉が見つからなかったので

ただ、君の目を見て頷くしかなかった。

妻に捧げるレクイエム=4=

2013/12/21

入院

この日の記憶は鮮明ではないんだ。

受付を済ませて外来待合室で待機した後に病棟に行ったんだよね。

最初は病室の出入り口に近いベッドだったので

窓際が空いたら移りたいと話していたよね。

この日から僕の一人暮らしが始まった。

 

義父さん

義父さんにも辛い思いをさせてしまった。

君が入院するのでお世話する人がいないから、

病院に入院してもらったけど、

淋しく辛かっただろうね。

僕も君のことに集中するあまり、義父さんの病院にはほとんど行けなかった。

 

妻に捧げるレクイエム=3=

2013/12/18

入院の日まで

ベッドが空くまで待つ時間は、とても長く感じられた。

1日延びるとその分ガンが成長して君を蝕んで行く。

そんな恐怖感が僕を締め付けて行く。

君は僕以上に辛かったのだろうね。

でも、君は笑顔を絶やすことなく、日々を送っていた。

 

入院前日

入院の経験は僕にもあるから、

持って行く物をあれこれ準備しながら、

「これがあると意外に便利だよ」などと言っていたのかな。

思いのほか荷物が多くなったので、

キャスター付きの旅行カバンで持って行くことになったね。

妻に捧げるレクイエム=2=

2013/12/15

健康診断はきらい

君は健康診断を嫌がっていたね。

ガンが見つかったら死ねばいいだけよって、言っていたけど

まさか本当にそんな自体が来るなんて思ってもみなかった。

だって、何の予兆も無く何処も悪くなかったのだからね。

 

再検査

再検査は僕が東京での研修に出ている日だった。

何度か電話してもつながらず、不安が駆け巡ったけれど

その不安は当たってしまった。

ガンは既に肝臓にまで転移していた。

一番辛い日だったと君は言っていたね。

 

妻に捧げるレクイエム =1=

2013/12/12

告知の日

平成19年11月14日にちょっと行って来ると言って

検査に出かけた君。軽い気持ちでの検査だったのに。

検査を終えた君から信じられない言葉を聞いた。

ガンだった。

頭の中が真っ白になった。嘘であってほしい。

 

大腸がん

ガンは大腸がんだった。

下行結腸という、左脇腹あたりにあって、手術もそう難しくはないとの事だった。

精密検査をすることになったが、

ちょいちょいっと切れば済む事よって、君は意外とのんきに構えていたよね。

妻に捧げる100文字で綴るレクイエム - はじめに –

2013/12/09

妻に捧げる100文字で綴るレクイエム(ガンと闘った3年と2ヶ月)

 

はじめに

 

大腸がんの告知を受けてから、3年と2ヶ月余り、妻はその59年間の生涯を閉じました。

ここに書き綴ったのは告知から死を迎えるまでの第1章と、その後概ね1年間を第2章として

一つ一つの出来事を百文字程度の短い文章にして、妻に語りかける形で書き綴りました。

ガンと向き合いながら強く明るく生きた妻、

ただそれを見守る事しか出来なかった私が、どう生きて来たのか

どう生き抜いてきたのか

とりとめの無い話しですが、妻との二人三脚で歩いた日々の足跡です。

今この時にも、妻が傍にいる様な気がします。

妻の声が聞こえる様なきがします。

いつまでもいつまでも、そうあって欲しいと願いながら。

京子へ届けとの思いを混めて・・・・龍一

 

新企画の予告です

2013/12/05

掲載している写真は、りんどうの会の会長(福島 龍一)が、平成24年6月に自費出版

された本です。

 

著書名:「妻に捧げる100文字で綴るレクイエム(ガンと闘った3年と2ヶ月)」

 

来週から、その全ページを少しづつ、週に1〜2回のペースでご紹介したいと思います。

 

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