2014年1月
1月, 2014年
記憶の中にあること
2014/01/29公式ホームページに、妻と私の事を書いた本の中身を少しずつ紹介いています。
少し、先取りで3年前、2年前の事を少しお話ししたいと思います。
昨日(28日)が妻の命日ですが、
記憶の中には29日の通夜、30日の告別式も一連の流れとして、しっかり残っています。
29日の通夜の日は、午後から天気が崩れ始めました。
そして通夜が始まる午後7時頃には、一面真っ白。珍しいくらいの雪になってしまいました。
交通機関にも影響があったようです。
そんな中にも、遠くからも友人たちが駆けつけてくれて、本当に感謝しました。
翌朝も、その影響があって8時頃までは車も少なく、告別式が心配されましたが、
9時過ぎ頃から太陽が射して、10時前にはすっかり雪も溶けて素晴らしい天気になりました。
だからこそ、強く記憶の中に、一つの流れとして残っています。
余談ですが、父の告別式の時には、朝から強い雨が降っていたのが、告別式の前には止み、素晴らしい天気になった事でした。
さて、それから1年後の一周忌の時、愛犬のユリが異常と思えるような行動をとって、家から飛び出しました。
どう見ても、妻の気配を感じて、妻を捜していたのだと思います。
他の犬に咬まれ、交通事故にもあって、ひん死の状態で保護されていました。
発見された状況を聞くと、よくぞ死ななかったと思える状態でしたが、今は元気になっています。
3月か4月にはこの話しが、ホームページに紹介されます。
(この書き込みはFacebook版にも掲載しています)
妻に捧げるレクイエム=17=
2014/01/29転移が見つかった
ラジオ波以降数ヶ月の間の診療は内科だったので
外科での再診察を進められて外科で検査をしたら
肺への転移が判明した
肝臓のガンにも変化が見られて本当に辛い思いをしたよね。
ガンへの怒りが爆発した。
(総合病院における院内連携にも疑問が起きました)
帯状疱疹
そんなある日君は痛みを訴えた。
まさかガンが動き出したのかと思ったけど、
それは帯状疱疹だった。
抗がん剤での再治療が始まる頃だったので
体力の低下をとても心配したんだ。
ペインクリニックの治療も辛そうだったね。
特別な日
2014/01/27誰にでも特別な日があります。
その日は、その人にとってはとっても大切な日ですが
それは、その人だけの特別な日です。
誕生日、結婚記念日・・・などなどと、その人にとっての特別な日です。
私にも幾つかの特別な日があります。
その中で、悲しみに彩られた特別な日が来ます
妻を亡くした日です
3年という月日が流れていったにもかかわらず、悲しみは心に深く
時に流れに逆らうかのように、涙が流れてきます
彼女の写真を見ながら、その声を思い出しています
特別な日
でも、多くの人にとっては普通の日
妻に捧げるレクイエム=16=
2014/01/26傍にいても
出来るだけ傍にいたいと思って
時間があれば病院に出かけたけど
ラジオ波の処置が終わって出てくる君は
麻酔が未だ強く効いていて話しも出来ないくらいの状態だった。
でも、僕が声をかけると少し頷いてくれたよね。
経過観察
ラジオ波治療が終わると
暫くは経過観察に入って、普通の生活に戻って行った。
完治したと勘違いするくらいに元気になって
散歩や映画にも行ったよね。
この頃は僕でさえもう大丈夫かなって思っていたよ。
妻に捧げるレクイエム=15=
2014/01/23次のステップへ
抗がん剤を止めると
副作用で傷んだ部分も回復に向かったけど
髪の毛だけは時間がかかったね。
肝臓に残ったガンはラジオ波で焼くという説明に
ビックリしながらも
兎に角助かる方向に向かっていると強く思った。
ラジオ波
ガン細胞は熱に弱いらしい。
エコー画像を見ながら細長い針で直接肝臓にあるガン細胞に
熱を放射してガンを死滅させるんだって
身体への負担は少なかったけど、やり直しもあって
入院が長引いたのだけはまいったね。
妻に捧げるレクイエム=14=
2014/01/20抗がん剤の日々
2回目からは通院しての投与になったね。
2週間毎に病院に行き白血球数を検査するけど
結構ドキドキしながら待合室にいたことが思い出されるね。
抗がん剤が投与出来るとなった時には
変にホッとした思いだったね。
抗がん剤の日々
本当はもう少し長期に渡って投与する予定だったけど
副作用がきつく白血球の低下も著しかったので
最初の抗がん剤は6回ほどで終わってしまった。
でも、腫瘍マーカーも下がり、肝臓に残ったガンだけが心配の種だった。
妻に捧げるレクイエム=13=
2014/01/17ポート
抗がん剤は48時間の投与。
毎回血管に直接注射すると血管が痛むので
鎖骨下の静脈にポートという注射針用のアタッチメントを装着する手術をしたね。
でも、後からこの事に関する院内の壁を経験することになったね。
抗がん剤の日 初めての日
抗がん剤治療が始まった。
第1回目の投与は経過観察のために入院して行ったね。
三種類の薬液を48時間かけての投与だったけど
一番長い3番目が、風船の様な袋を使っての投与だったので
ちょっと驚いたよね。
妻に捧げるレクイエム=12=
2014/01/14太郎坊神社
平成20年は、地域の恵比寿会の祭典にも関わっていたけど
その神社の中に祭られていた太郎坊神社は
本殿の右側にある小さな社殿だったけど
「どんな難病でも一生のうちに一回だけは治してくれる」とあった。
祈ったよ。
抗がん剤治療
結局は完璧に取り除けなかった肝臓のガンと
顕微鏡サイズのガンに対する治療として
君の体力の回復を待って、抗がん剤を投与することを選んだね。
その後の処置は、抗がん剤の効果を見てから決めると言うことだった。
1月は悲しい月
2014/01/111月は僕にとっては悲しい月です
それは、妻が旅立った月だからです
その日までの最後の時間が思い出されてきます
あと17日でその日が来ます
3年前に僕は何をしていたのだろう
3年前の今日、僕は何処にいたのだろう
写真の中で微笑んでいる妻の顔を見ながら
何かを語りかけています
妻に捧げるレクイエム=11=
2014/01/11平成19年(独り言)
平成19年は忘れられない年になりました。
年明けに以前から調子が悪かった父がついに倒れて入院。
入院後に認知症が発覚して、精神科の病院に転院。
その父を追うかのように、母も認知症で介護施設に入所。
その夏に、伯母、義母、叔母と続けての逝去。
そしてとどめを刺すかのように妻の病気が見つかりました。
忘れられない、最悪の年でした。
副作用に関すること(独り言)
薬の副作用に関して、友人の薬剤師がこんなことを言っていた。
薬には必ず副作用がある。
問題は病気を治す効果と副作用によるダメージの比較で薬を決めると。
副作用によるダメージが大きくとも
元々の病気が治るのであれば、目的の薬を投与すると言うことでした。
なるほど。
*本とは掲載順番が異なっています。加筆されています。