2019年11月
11月, 2019年
ルミナリエ点灯式に寄せて」(2019)
2019/11/27こんばんは、両親をがんで亡くした、がん遺族の会佐賀・リンドウの会の古賀です
読み上げる前に、先ず要点をまとめました。
* 精神疾患の父とアルコール依存症の母
* 負債と家族の生活
* 両親のがん
* 気持ちの変化とりんどうの会との出会い
感謝の気持ちを聞いてください。
父は妄想で対人関係が上手く行かず転職と入院の繰り返し
カッとなると刃物で威嚇と暴力
母はやるせない気持ちから、私が中学生のころからお酒をあおる日が続きました
家族6人、新築の家に引っ越し家族団らんの時期もありました
そんな中、父の転職が始まり、仕事熱心な母でしたが
生活苦に会社のお金に手を付けて解雇
アルコール依存症が悪化し金融機関より取り立てが続く日々
家族崩壊のものすごい状況でした
アルコール依存とその副作用で転倒を繰り返し脳挫傷やケガ
暴れわめく姿、パトカーや救急車は日常茶飯事の事
結婚していた私は、両親と絶縁を決めましたが
母から会社に無数の電話や押しかけが始まり、真夜中も母の搬送などで
眠れぬ夜が続きます
そんな両親に、私も妻も壮絶な憎しみと怒りを感じていましたが
母の私に対する執着心は凄いものでした
両親を楽にしてあげたいという一心でアルバイトを掛け持ちしても
その仕送りもお酒に代わっていく日々はやるせない気持ちでした
あの頃はやるせなかった!
しかし、あることを切っ掛けに返済を済ませることが出来少し落ち着いてきたそんな頃
両親のがんが見つかりました
父は9年前、前立腺がんステージ4が見つかりましたが
治療放棄や過去の手術箇所の癒着が重なり入院した後も転倒して下半身不随になりました
痩せ細り精神疾患の父でしたが入院して仏様のようになりました
「いつもありがとう」と優しい父に変わり、安らかな眠りにつきました
どうして、お父さんは、最後を感謝の気持ちで迎えることが出来たのかな?
母は、3年前に脊椎に血管肉腫ができ、余命二か月と申告されました
下半身から上半身不随となり、緩和ケア病棟へ移り闘病から1年後に最後を迎えました
父に対する後悔の気持ちもあり
お母さんと出来る限り寄り添えるように頑張ったつもりだよ
私は父の生前に、楽しく会話をした経験や覚えが少なくて
入院生活後に弱っていく姿を目のあたりにし
親孝行が出来ればとの思いで手を尽くしましたが時すでに遅く後悔が残りました
お父さん、ごめんね!
母は施設に入るとアルコール依存症は治まり、毎週通院がてら一緒にお出かけしたね
早6年
阿蘇と柳川下りの一泊旅行、飛んで喜んでいる写真が遺影となりました
お母さん楽しかったね
良い思い出がなかった実家を解体整理したところ宝物が出てきました
私の育児記録と父が家族にあてたラブレター・・父の手日記
私が生まれた日、
「元気な男の子が産まれ妻は大喜び、長女と次女と一緒に病院に行き
先生から男児出産の報告を聞いて大喜び」したと書いてあります
父からのラブレターを見た私は、本当は両親から本当に愛されて育てられたことを知りました
我慢していた感情が一気にあふれ出し、泣き崩れ心から感謝の気持ちと幸せでいっぱいになりました
嬉しかったよ、お父さんお母さんありがとう
あんな親にはなりたくないという一心で仕事をしていた私
でも、それは間違いで立派な両親がいたから今、子・孫に囲まれて幸せに過ごしています
私の妻も共に寄り添い我慢してくれました
母が闘病中に疲れ果てたりんどうの会と出会い、会員の方々の辛い経験をお聞きし感銘を受けて
りんどうの会に参加することになりました
話を聞いていただき、心が少し軽くなったのを覚えています
愛する人を亡くした辛い気持ちを、一歩踏み出して語ってみませんか
ここには寄り添える方々がいます
最後に
辛い時期は何十年と続きいっぺんに変わるものでは無いかもしれません
ただ、乗り越えた後その先に、本当に大切なことに気づきを得て、余生に活かせる時が来るのだと信じます
お父さん
お母さん
空の上で仲良くしているかな
色とりどりの空を見上げて、これからも一緒に生きていくからね
ご清聴ありがとうございました
それでは、ルミナリエに点灯したいと思います・・点灯!!
(古賀正司)