五周年記念講演から(第3回)
2017/10/11第3回 (体験談 HM)
皆様、こんにちは、私は「治らないがん」に罹られた方と、その方の家族の方の「心と魂へのサポート」の必要性について、体験を交えて話させて頂きます。よろしくお願いします。
私の唯一の家族である私の妻は、今から5年前の夏、消化器系のがん「スキルス胃がん」と診断されました。そして、約7か月間の闘病生活の後、40代半ばで旅立ちました。
愛する人が病に罹ること、病と闘った末、この世から旅立つこと、離別すること。その辛さは、愛する人の年齢とは無関係であることは、頭では理解していましたが、
現実に突きつけられると、心はまったく納得できませんでした。
妻と私にとって、スキルス胃がんの告知は、あまりにも突然で、絶望的なものでした。
妻が胃に違和感を感じて、住まいの近くの病院を受診すると、すぐに、同じ町にある「がん診療連携拠点病院」へ転院することになりました。
査結果は、「スキルス胃がん」でした。
妻は転院時に、「病気について全て告知を受ける」と意思表示していましたので、先ほどの病名とともに、「胃以外の場所への遠隔転移を伴うステージ4」であること、
「手術の適応外」であること、「抗がん剤による化学療法を行うか行わないかの選択と、体の痛みを少なくする緩和治療の必要性」について告知を受けました。
担当の先生は、告知で妻が受ける衝撃を出来るだけ少なくしようと、慎重に言葉を選んで話して下さいました。話しては下さいましたが、妻が直面した現実は、「病気は治らない この世から旅立つ時が遠からず訪れる」というものでした。
告知を受けた後すぐに、私と妻は、標準治療以外で治癒する可能性のある治療方法を懸命に探しました。
先端医療、研究中の治験、自由診療によるさまざまな治療方法について、化学療法による入院治療中には、主治医の先生にも相談しました。
ですが、「胃がん全体の約1割を占めるスキルス胃がん、遠隔転移を伴うスキルス胃がんは、『治しにくい』というより『治らないがん』なのだとゆう事実は、心は納得できなくても程なく受け入れざる得なくなりました。
治らない病と対峙する妻のため必要としながら得られなかったもの、それは、「妻の心と魂に寄り添い、心と魂の不安・痛みを少しでも癒やすことのできる、私以外の存在」でした。「体の不調・痛み」については、お医者さんと看護師さんがしっかり対処して下さいました。
ですが、「心と魂の不安・痛み」に対処して頂ける場所が見つからないのです。最愛の、唯一の家族である妻ですから、私が気付き、出来ることは、当然すべて行いました。「私が全力で妻を支える」と、自分に誓いました。
それでも、「『病との闘いの末、旅立つ最愛の人』を看取った経験のない私は、私自身の力不足を痛感しました」
その拠点病院には、ボランティアの方が運営する、がんサロンがあり、毎月2回開催されていました。妻のサポートをして頂ければと、妻の入院治療中に、私一人で行きました。しかし、運営スタッフの方が、全員、その時点では「がんサバイバー」なのです。
「治らない、治す手立てがない」事実を突き付けられた妻を連れて行ける訳がありません。
病院外の地域社会にも、最後まで見つけることはできませんでした。「治らないがんと向き合われている方と、家族の方に寄り添う」には、寄り添う側が高いスキルを身に付け、細心の注意を払って寄り添う必要があります。その様な場を作ることが難しいことも、今は実感として理解しています。ですが、闘病中の妻と私には、やはり必要でした。
正確な知識と、豊富な経験のある医療関係者が、医療行為として、「治らないがん」と向き合われている方に、体と共に、また、体に先立って、「心の不安・痛み」を和らげて頂ける医療システムが、日本に構築されることを願っています。また、がん遺族となった私は、がんによる離別に対峙して、乗り越えた遺族であれば、「魂の痛み」に寄り添うことはできなくても、「心の痛み」に寄り添うことはできるのではないか、と考え始めています。
これで私の体験発表を終わります。