りんどうの会~がん患者遺族の会・佐賀~

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ガンに負けない

2015/08/09

何回か書いた事がありますが、「人はいつか死ぬ」
この言葉は、聴く人によっては嫌な響きを持つ事でしょうが
私と私の妻はこの言葉に救われました

 

「人間の死亡率は100%」
たとえ健康で事故もなくその寿命を全うしたとしても
いつか人は死を迎える
その事実から目を背ける事はできません

 

たとえ健康で事故もなくその寿命を全うしたとしても
夫婦二人が最後のときまで一緒とは限りません
妻か夫か、どちらかが先に逝き、どちらかが残るのです
それが事故や病気の場合、納得できない事が多いと思います

 

しかし、それが現実であり
早い遅いという気持ちはあるにせよ
人は絶対に死に至るという事実を忘れてはいけないと思います

 

いまの医学は、人は生き続けると言った発想にあると思います
死なないと錯覚するから、死なない医学が進んできています
延命治療、植物状態でも生かしていく
本当に、それで良かったのでしょうか

 

ある医学者は、現代社会の歪みは医学にあるといいます
人もまた動物であるのに、自然淘汰を拒否している
以前なら生命を維持できなかった赤ちゃんも生き残る
自然社会の摂理を破壊しているのは人である

 

私の妻は、手術から抗がん剤と治療を続けましたが
発見から3年2ヶ月で最後のときを迎えました
最後の1年は治療を放棄し、最後は緩和ケアでした
しかし、ガンが見つかってから、もっとも安定していたのは
その最後の1年間でした

 

ガンに罹患する年齢によっては「死にたくない」という
本当に当たり前の感情を持つことはよくわかります
特に小さな子どもさんがいる家庭ではなおさらだと思います
そういった方々にはガン治療の発達は重要課題だと思います

 

ただ、不思議なのは
これが他の病気であればこういった感覚が少ないのですね
ガンという病気の特殊性でしょうか
不治の病いという思いが強いからでしょうか

 

患者さんや経験者の方々と、遺族という立場の私には
正直って大きな壁が存在します
「ガンに負けない」という事への意味が違うからです
妻はガンで命を失いましたが、ガンに負けたわけではありません

 

それは、ガンとどう向き合うかという心の問題です
人はいつか死ぬ、この真理をどう理解してどう立向うかです
死が怖くない人はいないと思いますが
その恐怖を超えるきっかけが、人はいつか死ぬかなと思います

 

遺族という立場で、ガンを考えた場合
死を迎えるその時まで、ずっと一緒にガンと闘いながら
結局は何もしてあげられなかったという悔恨だけが残ります
遺族の心の中には、悲しみと同時に自責の念があります

 

私はガンで妻を亡くし
その事がきっかけで、遺族の会やガン征圧運動に関わっています
とても不思議な気持ちでこの現状を見ています
妻が生きていれば、全く関わる事のなかった世界にいます

 

そしていま、リレー・フォー・ライフに関わりながら
自分の心の中の矛盾と立ち向かっています

新しい旅路への分岐点

2015/07/28

4年と6ヶ月

 

その日から4年6ヶ月という時間が流れました
日本グリーフケア協会の悲嘆回復の最長期間の目安が
概ねこの時期にあたります

 

最初の1年間は
苦しくて苦しくてどうしようもなく
悲しくて悲しくて泣き明かしていた
追い求めるのは亡くなった妻の幻影

 

3回忌(2年目)を迎えた頃に、どこか心の変化を感じた
悲しみの形が変わったような気がした
妻がいない生活に身体も心も慣れてきたのでしょうか
それでも時折止まらない涙

 

いま、こうして書いていてもじんわりと涙は滲んできます
でも、ただ単に悲しいというだけではなく
何か暖かさを感じている胸の中があります

 

それは、きっと悲しみからの卒業なのでしょう
僕と妻との新しい形の旅が始まるのでしょう
妻の声が聞こえます
「あなたの道を歩いてください」と

 

今日は28日、妻の月命日
新しい旅路への分岐点に立っています

私の一冊「自分を生ききる」

2015/07/14

妻が抗がん剤治療をやめる時に読んだ本です。
「死」とは・・「死ぬこと」とは
深く考えさせられ、そして「死」を怖がらない心を持つことができました。
「人はいつか死ぬ」それは、ガンであろうとなかろうと
その考えに至ることが、抗がん剤治療を止めることの背中を押してくれました。

 

本の解説です

 

がんになった方のおよそ半数が数年で命を落としています。まさに国民病です。しかし、 現代の日本は「自分は死なない」ということが前提の社会です。「死」は日常にも、人々の意識のなかにもありません。このことが、延命中心のがん医療につながっています。 

本書では、日本人のからだと精神のあり方に迫ってきた、養老孟司東大医学部名誉教授と、養老氏の東大医学部の教え子で、東大病院でがん治療と緩和ケアを実践している中川恵一医師が、日本人とその社会のあり方、日本のがん治療の問題点を多面的に語ります。すべての日本人にとって、もっとも大事な、「人生、社会、医療」という大きなテーマを、深く鋭く、しかし、わかりやすく、ときにユーモアをまじえ、分析しています。

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人と人との出逢いは、偶然それとも必然

2015/07/07

偶然と必然
貴方はどちらを信じますか?

 

人と人との出逢いは、偶然でしょうか?必然でしょうか?

 

小学校・中学校の同級生は、同じ年に産まれて、同じ地域に住んでいただけですか?

 

受験と言う門をくぐり抜ける高等学校。全国レベルで交差する大学校。まして浪人を経験することで、年齢による並びも変化します。

 

社会人。公務員、自営業、民間企業。営業、事務。本社、支店、営業所。正規雇用、臨時雇用、管理職。年齢も出身地も学歴もスクランブル。

 

結婚。配偶者家族親族友人。地域社会、PTA。

 

これら全てが、偶然の産物だと言えるのでしょうか?

 

転生輪廻を称える人の中には、人が持つ霊は、前世でも現世でも、そして来世でも呼び合って近くにいる。と言う人もいました。

 

妻を亡くしてからの出逢いは、殊更に、その事を考えてしまいます。

 

総てが必然とは言えないかもしれませんが、必然的な出逢いは必ずあると信じたい私です。

月命日に

2015/06/28

今日は、妻の月命日
あの日から、4年5ヶ月という時間が流れました

普段は全く見ることのない葬儀・初盆に関する記録
たくさんの数字が書き込まれた無機質な書類のなかには
発病からの血液検査の結果表も含まれていました

死亡診断書、弔問してただいた方々の名簿・・・・
その中に、数枚のお手紙を見ることができました

遠方で弔問に来れなかったことに加えて
私に対する心遣いの言葉に熱いものがこみ上げてきます
そして、最後の出棺前の写真もありました

これらの記録もどこかで整理しておかねばなりませんが
なんで、いつも近くにあって見ることのなかった箱を開けたのだろうか

誕生日

2015/06/12

今日は、妻の64回目の誕生日です
結婚記念日(6日)と誕生日が一週間と空いていないから
毎年、二つ合わせてお祝いしていたので
「ずるいな〜」とよく言われていたものでした

64回目の誕生日でも、妻は59歳
何年経ったても、そこにいるのは59歳の妻
ずるいよな〜、貴女は歳をとらないのだから
僕は今年で63歳になってしまうんだよ

今日は、何かいいことがあるかな

 

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