第28回日本緩和医療学会学術大会
2023/05/25令和5年6月30日~7月1日に開催される
第28回日本緩和医療学会学術大会のポスター掲示部門で参加します
詳しくはまたお知らせします
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令和5年6月30日~7月1日に開催される
第28回日本緩和医療学会学術大会のポスター掲示部門で参加します
詳しくはまたお知らせします
心がざわつく季節
間もなく妻の13回忌の日を迎えようとしています。この季節になると思いが強く募ってきます。
ある夕方、妻の病室を出た後で医師から「これからのこと」の話を聞かされていよいよ覚悟を決める日が近づいていることを知りました。毎日見ている妻の様子から、薄々は感じ取っていましたが、それが急に現実味を増してきたことを感じていました。
12月に緩和ケアに入院した時には、一時は表情も明るくなり元気も出てきたように思えたのですが、1月に入ると、病室から帰る私を見送って一緒に歩いてくれる距離が次第に短くなっていき、顔にも黄疸の色が出てくるようになっていました。
そしてついには、病室で別れるようになっていきました。
病院から自宅までは歩いて帰ることも多く、その日もとぼとぼと帰路についていました。交差点でクラクションが鳴って、ハッとして顔をあげると、知り合いの方でした。目礼を交わして通り過ぎたのですが、後日その方から「私に気づいて笑顔を作ってくれたけど、その前の顔は今にも泣きだしそうな顔だったよ。奥さんはそんなに悪いの?」と言われました。
待ってくれる人もいない一人暮らしの自宅は、深々と冷え切っていて、電気もついていない真っ暗な部屋でした。愛犬のユリだけが、お腹を空かせて夕食と散歩をせがんでくれます。そのことがとても大切で嬉しかったこと。ユリが居てくれたことが勇気になった日々でした。そのユリも一昨年18歳という高齢で旅立ちました。
そして、間もなく命日が来ます。
まさに走馬灯のようにいろんな思いが湧き出てきます。
私にとって1月は、悲しく辛い季節です。
今日の佐賀新聞の「ひろば」に掲載していただきました
投稿した原稿をそのままに載せています
写真は、佐賀新聞の電子版からコピーしたものです
命(この限りあるもの)
命と言われて、あなたは「生」を思いますか、「死」を思いますか。
私は妻と一緒に悩み苦しみながら「命」を考えました。
それは妻が逝く1年前の事、抗がん剤の辛い治療を続けていたある日、「治療を止めたい」と言ってきたことに始まります。
抗がん剤で腫瘍マーカーは落ち着いているものの、身体はいたるところに副作用が出ていました。
「普通の暮らしがしたい、美味しいものを美味しいと感じたい」それが妻が治療を終わらせたいという願いでした。それはいつか来る別れがより早期なものになるという苦渋の選択です。
命には限りがあること。長寿を全うしてもいつか別れの日が来るということ。
これは逃れようのない現実なのですが、つい忘れがちなことです。今生きていて、今命の輝きを享受している時には、命は永遠に続いていくもののように感じられます。
「人はいつか死ぬ」という事実さえも引出しの中に仕舞われているのかもしれません。
私たち夫婦は、治療を止めることを選択しました。それは生きることをあきらめたのではありません。
「死」を受容れながら生きていくことを選択したのです。
不思議に思われるかもしれませんが、「死」を意識する(受容れる)と、やがて来るその時まで生きていくことがとても大切なことになりました。
旅行に行くことも出来ました。
美味しい食事時間も一緒に過ごしました。
やがて緩和ケアに入院し人生の最後を生き切って妻は逝きました。
間もなく13回忌を迎えます。
定例的に佐賀市で開催していましたサロンを
今回は、唐津市で開催することになりました
これは、りんどうの会10周年記念行事の一つで
今後、いろんな地域で開催するための第一歩とも思っています